肩書きに価値を感じない
人生の目的を何と捉えるかが、少しずつの経験を通じて変わっていっていると思う。
結局、人生「楽しいかどうか?」が全てなのではないか?
仕事も他の趣味も全てそのための手段にすぎず、するとそのプロセスを楽しめないのなら意味がない。
肩書きやお金(資産)の過多などが与えてくれる面白さというのは非常に限定的である。お金はお金を産むし肩書きは肩書きを産むけれど、それ自体で体感的に充実した経験を得ることはまずできない。
お金や肩書きがあると、それをテコにお金や肩書きがある人に会いやすくはなるだろう。そういう人はたいていエネルギッシュで面白い人が多い。
だがしかし、「面白い人に会った」というだけの経験ならば今どき比較的簡単に手に入るし、その面白い人に圧倒されるだけの経験ならば実際にはその経験は「面白くはない」。
そのレベルの高い人と何かを生み出すことができる立場で話をし、そこで高度なクリエイティビティが発揮されて生み出される瞬間は面白いと思うだろう。
逆に自分が圧倒する側であったらそれは面白くない。そこから何を引き出せるか?
何を学ぶことができるか?というところ。
だが世界そのものをまるごと吸収するのが目的でなければ、よく言うように「人類自分以外皆師」というのは正直やりすぎ。確かにそうかもしれないけれど、自分の吸収したい方向が定まっていれば合致しない価値観を対話を通じて吸収するのは効率が悪すぎる。
そんなことしてるうちに目の前に流されていくのがオチだ。
もし、今現実の人生を少しでも変化させたいと考えるのであれば、「全てを吸収する」という方法をやめる必要がある。
ただただリアルを生きていろんな人の人生を吸収したとして、それが何になるという?自分は人生を通じて、しょぼい文化人類学者になりたいのか?
一方で、単に数字上の存在になりたいとも思わない。
では、ひたすら「楽しければそれでいい」というのもあるのではないか?
まずはこの部分に結論を出し、軸を定めることを直近のトピックにする。
細々としたアクションは不要。